Adolf庵 亜奴流布の残日録

Adolf庵 亜奴流布の残日録日々の残日録の日記です

「勲章、売っちゃったよ。」(敗戦記念日)

 
   みなさんは「本当の終戦記念日」を知ってますか。


   日本軍が組織抵抗をやめたのは9月5日なので、正確には終戦の日は「9月5日」です。
「日本がソ連に降伏した日」


 日本軍の最後の勝利は8月18日、戦車の神様「池田末男」大佐の池田戦車隊が水際でソ連軍を撃退した「占守島の防衛戦」。
 日本は武装解除中なので、多くの兵器を廃棄していた。集められる小銃と野砲で抵抗。戦死者500名。
 ソ連軍8000名、戦死者3000名以上、スターリンが激怒したそうだ
 ソ連では国民の追悼の日と言われている。


祖母「酒なんか買うお金なんてありません。」
祖父「勲章の軍刀の短剣がある、売ってこい。」


 大元帥閣下(天皇陛下)からいただいた「短剣」を酒に変えてしまう祖父。


 去年、祖母が102歳で亡くなったのですが、遺品を整理するときに祖父の写真と肖像画出てきたので、びっくり。


「イケメンではないか!!」


 そういえば、日露戦争に参戦した曽祖父もイケメンだった。
 私は何なんだ!!!!!!。


 祖父の軍人人生は激動ものだった。


 徴兵を受ける前に志願、上等兵候補者特別教育を受けて上等兵に、上等兵の時に「二二六事件」で警視庁前で「叛乱部隊」とにらみ合い。

226(予告)
★陸軍は当時二つの派閥に「正統派」と「皇道派」、天皇陛下の詔勅で昭和維新を起こすために金銭にまみれた内閣を打倒のために皇道派の青年将校がクーデターを起こした事件。

二・二六事件 傍受された通話音声
 昭和天皇は激怒。
「朕の周りの臣を殺害するとは、朕の首を真綿で占めること、鎮圧せよ、ならぬなら、近衛師団で朕自ら鎮圧する。」


 祖父は叛乱軍の皇道派の軍人だったので、事件後、特務少尉として中国戦線へ、母方の祖父も徴兵され、二年ほど近くの部隊にいたそうで、昇進、大尉に山口の兵は中国南部に送られた。
 南京陥落の功で勲章をもらったらしい。
 「南京陥落」

映画 南京の真実 記録映画編(南京陥落後)
「南京大虐殺」はあったのか、聞きたいのですが、この当時の軍人は100歳前後で聞けません。
 ピョンヤンの基地の武官、現地で結婚、妻のお義父さんの母親。別の女性にも子供を作って、敗戦濃い中、ソ連が来るまで、平和だったらしい。
 「「韓国人」は優しいし、日本軍が守ってくれると、一緒に焼肉を食べたり、どぶろくを飲んだり、日本人も同和しようとしていた。」
 徴兵できた二等兵が差別して、暴行とかすると、司令部に呼び出して殴っていたらしい。
「同じ赤い血が出るんや、本土(日本)で何を教えられたか知らんが、ここでは朝鮮人に手を上げ奪うことをすると、憲兵を呼ぶ。」


満州国陥落寸前

満州帝国崩壊 〜ソビエト進軍1945〜 予告編 (日本版・ビデオ用)
祖父は8月15日に今の北朝鮮「平壌」の司令部にいました。
大尉だった祖父は迫るソ連軍を前に「機密文書を燃やす」


 志願して、少年兵から20年、大尉までなって、終戦で待ってたのは、極東軍事裁判でC級戦犯で有罪。
 巣鴨の旧東京拘置所


東條英機見たそうで。(ビートたけしが似合っている)

「私は貝になりたい」

映画「私は貝になりたい」 予告編


 軍曹がやった虐待で疑われ収監。
 軍曹は有罪、無期懲役。


 祖父は一年の勾留で無罪。


 当時の士官は失業して、兵士と違って「手に職がない」ので、ヤクザになるパターンが多くて、
 祖父も「博打と酒と女が手に入る」から裏街道で下関の(今の広域指定暴力団の「合田一家」)に用心棒として、入り、当時は失業軍人も多かった。


 とある、山口組系の有名な事件にかかわって名前が残っていますが、(★身元バレします)ので事件は話しません。
 また、懲役。
 獄中で父が産まれたので少しおとなしくなった、もう、からだを壊していたので。
 晩年は祖母のヒモになって肝硬変で昭和34年に亡くなるのですが。


 刺青を入れないのがプライド。


「あれは終戦記念じゃない、敗戦の日だ」といってたそうで。
 職業軍人にはつらい日だったと思います。