Adolf庵 亜奴流布の残日録

Adolf庵 亜奴流布の残日録日々の残日録の日記です

「想定を超える いつもと違う関東に来ている(絶対に自家用発電機は必要)」

  台風の被害にあわれた方にはお悔やみ申し上げます。


 


 災害のたびに自家発電の開発は必要と思いますよ。



 台風、震災に一番役立つアイテムは「発電機」。


 発電機は電気の基本です、ガソリンの燃料で一台で冷蔵庫と洗濯機とTVや携帯・PCエアコンも動かせます。むろん、照明もつかえます。
 お風呂も使えます、水道が生きているとき。



 長野新幹線まで沈んでしまった「JR倒壊いや東海」。これは、幡生でスクラップですね。
 台車や内装をやり替えても、500憶円はかかるそうで、新車にしたら320憶の見積もりらしいです。


 最近、「想像想定を超える台風・大雨」とかいいますが、昔は持ち家の人間や、マンションの人間には何も保証もありませんでしたよ。


「自己責任です。」


 そのために保険があるのです。


 わが故郷の山口県は台風銀座で、毎年、豊後水道から上ってくる台風銀座です。
 いつも、暴風域、特に「台風19号 リンゴ台風」「長崎大水害」と経験して、水害の多発地点なので。水害の治水率は「西日本水害で最強とされました。」



・台風19号 リンゴ台風(カテゴリー4の スーパー・タイフーン (SSHWS))


 今回は、雨量で最恐ですが、この台風、風力58メートルで、生家の隣の市に上陸、車庫のビニールの屋根が即死しまた。父は上陸前、窓中に分厚いコンパネを叩きつけてました。
 台風の目に入ると、夜空がみえるのです。
 風もなくなる、直撃。 星がきれいなのです。
 すぐに停電、祖母のラジオを聞いていました。


 避難所なんなんかありません。
 父が地下室を作っていたので地下室に隠れてました、雨が少ない風台風です。
 当然、山口県は全域で停電です。
 KRYやNHKが見れない、ラジオで聞きます。


 父は、被災後の翌日に仕事用の発電機を二トンに乗せてきました。
 仕事用の溶接用の発電機が載ってます。軽油のポリ缶をたくさん買ったらしいのです。
(この発電機は今のタイプです、今から30年前の発電機です。)


今は、こんな感じ。


 停電は65日、でも我が家はには二日目で電気がつきました。
  父は電気工事士とモーター修理職人でしたので。


 でも近くのスーパーの魚や肉は発泡スチロールに氷を詰めて販売です。
 断水が無かったのですが、マンションではトイレが使えない。
 


 「テレビとエアコンと冷蔵庫で電源はいっぱいです、タコ足でテレビとつないでました。」
 ガソリンが足りない、携行缶が少ないので、町中の電信棒が横向き、お風呂に入れないので女の子も臭かったですよ。


 叔母が200リッターのドラム缶を二本持ってきたので、燃料には困りませんでした。
 叔母も被災して、漁師の船がやられていたのに。


 水道が生きているので、洗濯だけは無償で貸していました。
 絆なのでしょうか、洗濯代は置いていくわけで。
 テレビをみんなで見ます。
 復旧が一番遅い場所なので。
 みんなが食べるものをくれたり、お風呂も三世帯で貸したり、地区が家族になった時です。
 54日ぶりに電気が復活しました。


 ボランティアも官民のものもありません、部落ですごしたのです。
  災害に備えるきっかけ。


・長崎大水害

 死者299名
 私の故郷でも、山口県下松市で3人が死亡、佐賀県、大分県でもこの豪雨により死者が出たと確認されている。 


 そういえば、床上ギリギリで、朝、スリッパが浮いていたり、近くの川の鮒や鯉が泳いでいた、当時、古い、浅い汲み取り式の便所なので、汚物も浮いていた。下水もない地区なので。
 水が引いた日、役所の人と保健所の人間が「クレゾールと蛆殺しジクワット」をまいておしまいだった。
 祖母と父は怒っていた記憶がある。


 当時平屋、七歳だったけど、「隣保館」の二階に避難して子供だから、毎日、自衛隊の人にカレーとか食べさせてもらった、私も妻も(幼少時)。沢山お肉が入ってる。子供にはお代わりくれる、「ルーを残して食べる」とか。
 私も、「自衛隊」さんからご飯を頂いたので、コメにうまいまずいは言えません。


 こいつらは違います。
 ほっとけ、金あるんだろ。



 こういう人たちは、自衛隊やすべての支援「クレーム」を言いそうですが。


 北斗の拳で「札束見せて」モヒカンから逃げる人間ですよきっと。

クレームをTVで言いまくっている親子とか、モヒカンに追われて●●。


 災害時にいるものは発電機。


 わたしの母の実家の地区は漁師町でほとんど持ってます。発電機。